人は誰も必要とされていない論(論?)

 よく、「私は誰にも必要とされていないんだ・・・」と絶望している書き込みを見かける。それを見る度に、僕は思う。人は、皆、誰も必要とされていないのでは?と。これは別に、絶望している人達を貶しているわけではない。ただ、そんな絶望していない人も、必要とされていない、と言うことだ。


 人間、必要とされて動くものではないと思う。自分がやりたいと思うからやる、それが人間じゃないのかな?と思う。自分がやりたい、と思ったら、別に犯罪だってしてもかまわないだろう。それで捕まっても、責任は自分にあるのだから。


 必要とされて何か仕事をするのではない、自分がやりたい仕事だと思うからやるんだ。人が頼むのは、必要とされているからではなく、ただ人手が足りなくて手伝ってほしいだけ、ただそれだけなんだと思う。

 今から未来のことで絶望するなんておかしいよ。まして十代でそんなことを考えるんなんて。明日のことを考えようよ。人は何時死ぬか分からない。今を生きて、明日を迎えてはじめて生きている実感がある。


 人の生きる意味って、ないんだと思う。生きる意味を探すために生きるんだと思う。でも、それ以前に、人が必ず持っている『生きる意味』があると、僕は考える。

 明日という日を過ごす為に生きるんだと。明日、明日といく内に、全ては未来へ移り変わる。明日のことを考えることが出来ない人に、未来のことを考える理由なんてない。大人になったらのことなんて、考えなくていいんだよ。今を考えればいいのさ。